Quintessence of Dental Technology Vo.23/1998 January page 63 ~ 72

Special Interview

The whole picture of "Oral design" asked 

Trends in aesthetic prosthesis in Europe


SpecialSpecial Interview 

Mr. Willi Gellerに聞く


"Oral design"の全貌

ー ヨーロッパにおける審美補綴の潮流 ー

Willi Geller  oral design

 

1940年 ドイツ生まれ

1973年 歯科技工所を開業。当時世界のセラミックス材料をリードしていたVITA社のアドバイザーを務める。

    世界中で講演、研修活動を活発に行う。

  ドイツのカールスルーエ歯科医師アカデミーの講師。

1982年 オーラルデザイン研究会創立。

1985年 ”Willi's Grass"の開発。

1988年 独自のの虹彩効果ポーセレン、Creation ポーせレンを開発、ポーせレン技工の黎明期、その素晴らしいテクニック

    で全世界のセラミストに尊敬され続け「ポーセレンの神様」とも言われている達人。 

 


 聞き手  (Yutaka Miyoshi)

三善 由高 早稲田歯科技工トレーニングセンター

 

1953年 福岡県出身。

1972年 (株)ケイテックス入社。

1976年 日本大学歯学部付属歯科技工専門学校。

1982年 早稲田歯科技工トレーニングセンター所長。

 



 

編集 部  本日 は 、 ポーセレン の 神様 と 呼ば れ て いる Willi Geller 先生 を お 招き し 、 Geller 先生 が 優れ た審美 補綴 物 を どの よう に 製作 できる よう に なっ たか 、 その 経緯 について 、 そして その 考え方 と 技術 につい て 、 お  聞き し たい と 思い ます 。 また 、 先生 率い る 「 Oral Design 」 の コンセプト や 、 その グループ の 全貌 について も お 聞き し たい と 思い ます 。

 

 インタビュアー として 、 通称 「 ワセトレ 」 と 呼ば れてい ます「 早稲田 歯科 技工 トレーニング センター 」 の 三善 由高 先生 に お願い いたし まし た 。

 

 まず 、 本誌 1997 年 12 月 号 に 、 アメリカ で 開業 さ れて いる 歯科 技工 士 , 相羽 直樹 氏 と 仕事 を 一緒 に さ れ て いる 関 須美子 氏 から 、 昨年 9 月 に スウェーデン の ストックホルム で 開催 さ れ た 「 Oral Design ミーティ ング 」 について リポート を 頂戴 いたし まし た 。 まず 、 その ミーティング について の お話 から おう かがい し たい と 思い ます 。

 

 

 

スウェーデン で の 第1回 Oral Designミーティング  ( 図 1 )

 

 Geller はい 。 われわれ の メンバー が スウェーデン で 講習 会 の よう な もの を 開き まし た 。 講習 会 は 1 日だけ でし た が 、 私 たち は その 4 日 前 に 集まり まし て 、スウェーデン 歯科 技工 士 会 が 地方 に 所有 する 別荘 に 招待 さ れ まし た 。

 

この 中 で 「 講演 の 仕方 の トレーニング 」 について レ クチャー が あっ た の です が 、 これ は 、 そもそも 予定 に は なかっ た こと です 。 今回 の ミーティング の 目的は 、 家族 も 含め て 「 お互い により 深く 知り合う 」 こと が 第 一 の 目的 でし た 。  

 

 



図1. スウェーデンでの「第1回 oral designミーティングミーティング」。

Geller.  ある スウェーデン の メンバー の 奥様 が 、 たとえば 大 企業 の 重役 など に 「 話し方 」 「 話し を する とき の 態 度 」 「 話し の リズム の 取り 方 」 など を 教える 仕事 を し て い まし て 、 偶然 という か 、 そういう 計画 が まっ た く なかっ た わけ で は あり ませ ん が 、 「 講演 の 仕方 の トレーニング 」 に なっ た わけ です 。

 

こういう トレーニング は 、 私 たち は 苦手 です 。 参 加 者 の 中 に は 、 こうした トレーニング に それほど 関 心 が なかっ た 人 も い た でしょう 。 しかし 興味深い の は 、 私 を 含め て ほとんど の メンバー が 参加 し た とい うこと です 。


 私 は それ まで 「 話し の 仕方 の 勉強 」 など し た こと が あり ませ し 、 英語 も 上手 と は 言え ませ ん から 、 トレーニング に 参加 する こと 自体 が 容易 で はあり ませ ん でし た 。

 

 MiyoshiGeller 先生 の 率いる グループ の メンパー の方々 は 、 各国 を 代表 する よう な スピーカー だ と 思う の です が 、 その 方々 も 参加 さ れ た わけ です ね 。

 

 Geller.  全員 が 参加 し まし た 。 「 そんな 必要 は ない 」と 拒否 する ほど 尊大 な 人 は い ませ ん でし た 。 どれほ ど 真面目 に 参加 し た か 、 真剣 で は なかっ た か は 別 問 題 です が 。 参加 する か 否 か は あくまでも 自由 でし た し 、 参加 し なく て も 非難 さ れる よう な こと は なかった と 思い ます 。

 

 Miyoshi 「 Oral Design 」 の メンバー は 何 名 くらい の 構成 で 、 どの よう な 方々 が おら れる の でしょ う か ?

 

 Geller. 私たちの グループ は 36 ~ 38 人 の メンバー か らなり ます が 、 人種 も 宗教 も 、 年齢 も 性格 も 非常 に さまざまです 。 アフリカ 人から 日本人 、 ヨーロッパ 人 、 南 アメリカ 人 も い ます 。 ヨーロッパ の ほとんど の 国 は もちろん 、 マレーシア の クアラ ルンプール の メンバー が い て 、 この 意味 で は 実に 多様 です 。 興味深い の は 、 この メンバー で 私 たち の グループ が 、 予想 も し なかっ た ほど 素晴らしく 機能 し て いる こと です 。 その キー ポイント は 、 グループ が 多様 な メンバー から 成る という こと に ある と 思い ます 。 私 たち は まだ 、 互いに 好奇 心 を もっ て い ます から 、 妬 みとか 対抗 心 など 生まれる 余地 は あり ませ ん 。 これ が 私 たち の グループ の 素晴らしい ところ です  

 

 Miyoshi 多様 な メンバー の グループ という ところ がた いへん 興味深い です ね 。 たとえば 、 どの よう な 方々 な の でしょ う か ?

 

 Geller.  私 たち の グループ は まさに 希有 な 存在 で 、 はっきり 言っ て 異常 かも 知れ ませ ん 。 ちょっと グロ テスク な 言い方 です が 、 人間 的 に も 職業 的 に も 非常 に 素晴らしい という 意味 です 。 宣教師 だっ た という メンバー も い ます 。 宣教師 で す から 当然 、 話し 上手 です 。 私 が 最初 に 会っ た の は 彼 が 溶接 を 扱う 仕事 を 辞め て 、 歯科 技工 士 に なっ て から 2 年 後 の こと でし た 。 歯科 技工 歴 2 年 です から まだ 初心者 で 、 経験 的 に は はっきり 言っ て 何 も あり ませ ん でし た が 、 私 は 彼 に 魅了 さ れ まし た 。 彼 に は カリスマ 性 が ある の です 。 これ は 彼 の 宗教 から 来る もの と 思い ます 。

 

 Miyoshi 歯科 技工 士 の 前 は 宣教師 だっ た … 。 日本 で は あまり 例 が あり ませ ん ね 。

 

 Geller.  はい 。 私 が こんな お話し を する の は 、 さま ざま な 国 の 文化 に 関心 が ある から です 。 多く は 知り ませ ん が 、 日本の文化 も たいへん 魅力 的 で 、 たとえば 今回 来日 いたし まし て も 、 皆さん が 食事 を する 様子 も 興味深い です ね 。 私 に は 、 同じ よ うに は でき ませ ん が … 。 ( 笑い ) 

 

 後で 話 が 出る と 思い ます が 、 1984 年 に 初めて 「 Oral Design 」 の ポスター を 掲示 し まし た が 、 その 日本語の ポスター を 私 の ラボ に 飾っ て あり ます 。 日本 の 文 字 が 興味深い もの です から 。

 

いずれ に せよ 、 国 や 文化 の 異なる 人 たち と 話し 合 うという の は 素晴らしい こと です 。 日本 の 歯科 技工 士 さん が 仕事 で ヨーロッパ に 来る という 場合 、 ヨーロッパ に 大いに 期待 し て 間違い ない と 思い ま す 。

 

 なぜなら 、 日本 の 歯科 技工 士 は ヨーロッパ  で は 信 じ られ ない ほど 評価 さ れ て い ます から 。 技術 を どの よう に 学ん で いる の か 、 感嘆 の 的 です 。 その 才能 に 私 たち は いつも 魅了 さ れ ます 。 その 学習 方法 は 、 ヨーロッパ 人 に は とても 難しく て ほとんど 真似 でき ませ ん 。 たとえば 石膏 カービング など です ね 。 反対 に 、 日本 の 歯科 技工 士 も ヨーロッパ の 歯科 技 工 、 歯科 技工 職 全体 から 何か を 学ぶ こと が できる と 思い ます 。

 

 

表1  oral design の提唱


1984年  ・oral designのポスター提示

    ・音楽を流しながらの講演

    ・oral designのポスターに『W.G』とイニシャルを入れる。



「 Oral Design 」 の コンセプト

 

 一 歯科 技工 士 という 職業 を アピール す るため に 一

 

Miyoshi  それでは 、 Geller 先生 が 以前 提唱 さ れ た 「 Oral Design 」 の コンセブト を まず お うかがい し 、 それ か ら Geller 先生 の 審美 補綴 物 について の お 考え 、 そ し て 現在 の 技工 技術 について など を お話し いただき たい と 思い ます 。

 

 Geller. 「 Oral Design 」 という の は 、 私 が 歯科 技工 という 職業 に 誇り を もち 、 愛する 歯科 技工 士 の 一 人 で ある という こと に 始まり ます 。 いわば 歴史 的 な “ 借 り " を 返す という の が 動機 でし た 。 それ は 私 たち の パートナー で ある 歯科 医師 と の 関係 における “ 借り ” です 。

 

 私 たち より 前 の 世代 の 歯科 技工 士 という の は 、まったく 影 の 存在 でし た 。患者 が 訪ねる の は 歯科医 師 だけ で 、歯科 技工 という 職業 が 存在 する こと さえ 知り ませ ん でし た 。 そこで 私 は 、 今 こそ 歯科 技工 の 仕事 を 定義 すべ ベき だ と 考え た の です 。それ を 私 は「 Oral Design 」 と 定義 し まし た 。

 

 ただし 、 グループ を 組織 する よう な こと を 意図 した わけ で は あり ませ ん 。 私 たち の 仕事 を 広く 一般 に 知っ て もらう こと だけ を 考え て い まし た 。

 

 私 たち は デザイナー です 。 歯科 医師 は 通常 、 私 た ちがつくっ た もの を 装着 する だけ です 。 もの を つくる、創造的に仕事をするのは私たち歯科技工士だと思います。

 

その後さまざまな偶然が重なりました。 私はその 頃、初めて山本 真氏の仕事に触れる機会がありまして、その素晴らしさにショックを受けたこともその1つです。

 

 

 

「Oral Design」の提唱

 

一審美に対する関心の高まりの時代一 (表1)

 

Miyoshi 山本氏との出会いとは、「ザ·メタルセラミックス」をお読みになったということでしょうか?

 

Geller  いいえ、Dr. McLean から前歯部修復を見せていただきました。山本氏に実際にお会いしたのは、1984年にロンドンで開かれたクインテッセンス出版が主催した第1回セラミック·シンポジウムでのことです。(本文では第1回セラミック·シンポジウムとなっていますが、第2回セラミック·シンポジウムの間違いです。)

 

会場のバービカン·センターはかなり大きな建物で、メインホールは1,000~2,000人も収容することができますが、山本氏と私は300~400人収容のホールで講演することになっていました。私が午前、山本さんが午後だったと思います。

 

そこでたいへん興味深いことが起こりました。私と山本氏のこのホールに、入りきれないほどの聴衆が集まってしまったのです。急遷ホールを3つ、4つにも増やし、講演をテレビ中継することになったのです。これはまさに画期的な出来事でした。ポー

セレンに対する関心がこれほど高まっているとは、主催者も予想できなかったのだと思いますが、これは私にとって、そしておそらく山本氏にとっても素晴らしい経験でした。

 

ついでながら、私はこの1984年のセラミック·シンポジウムの会場で、初めて「Oral Design」のポスターを掲示しました。

 

Miyoshi  1984年ということですから、10年以上、そろそろ15年近く前のことになりますね。その頃に具体的に「Oral Design」 が提されたわけですね。その他には、 どのようなアピールをされましたか?

 


 

Geller  私はこの講演に初めて音楽を使いました。今では歯科医師を含合め、 音楽を使う人は沢山いますが、最初に使ったのは私ではないかと思います。

 

Miyoshi  どんな音楽だったのですか?

 

Geller  ゲイリー、ムーアのプルースでした。 それから、同じ頃 Vita 社のポスターができまして、 そこに初めて私の名前のイニシャル「W.G」を入れました。私のつくった技工物の写真に W.G. とほんの小さく入れただけのものです。ご存じと思いますが、 ヨーロッパでは中世、 ルネッサンスが始まる13世紀より少し前から芸術家が名前をもつようになりました。 それ以前、 ゴシックやロマネスク芸術の時代は名前などなく、単なる職人にすぎませんでした。

 

歯科技工士の場合は、 20世紀になってもまだ名前がなくて、私がポスターに 「W.G」を入れて、 やっと名前をもつようになりました。なぜ私のイニシャルかといいますと、 それは誰かが始めなければならなかったからです。今は歯科技工士であるだけでなく、「Mr.Yamamoto」であり、「Mr. Miyoshi」、「Mr. Geller」でもあるわけで、これは本当に素晴らしいことです。

「Oral Design」グループの始まり Geller 「Oral Design」の話に戻りますが、私は性格的に“熱狂“するタイプではありませんから、 「OralDesign」の考え方を他人に無理強いしません。 適度に繰り返し説明するようにしました。

 

それから2~3年後、 今でこそイタリアで神様、法王的な存在の歯科技工士ですが、 当時はまだごく普通の歯科技エ士だった人に「オーラルデザイナーになりたい。 私にもなれるか」と質問されました。そんな質問をしたのは彼が最初です。 私は「もちろん」と答えました。

 

グループにすることは始めは考えていませんでしたが、それならグループの名前を「Oral Design」センターにしよう、 ということになったのです。 また、1つの国に1つの「Oral Design」センターを置く、というアイデアもこのときに生まれました。

 

 

各国にひとつの「Oral Design」センター

 

一 実現しなかったアイディア ー

 

Geller  私のラボには外国からも患者が来ます。これはなかなか難しいことで、 私が見たいとき患者がいつでも来てくれるわけではないし、 来てくれても時間がなければ急いで処理しなければなりません。たとえばイタリアに 「Oral Design」センターがあれば、イタリアの患者は彼のところに行くことができます。それに私は、 彼の技能もよく知っています。同様に、ドイツの患者さんはドイツの「Oral Design」センターに行けばよいわけです。 日本の患者さんは一日本にはまだありませんがーたとえば東京の「Oral Design」センターに行くことができます。でもこのアイデアは実現しませんでした。歯科医師が経済的にこれを望まなかったからです。 患者には、あくまで「チューリヒまで来てもらう」というわけです。もちろん、 今ではチューリヒ以外の「OralDesign」センターに行く患者もいます。

 

Miyoshi 外国の「Oral Design」センターというのは、どういう組織形態をとっているのでしょうか。

 

Geller 患者が外国の「Oral Design」センターに行くという場合には、 すべてを当地のセンターに任せます。私のために印象を採得し、 模型を製作し、 写真を撮るということはしません。経済的にすべての「Oral Design」センターが独立していますから。

 

Miyoshi 歯科医師が「Oral Design」センターというアイデアに反対したのは、経済的理由と言われましたが、ポーセレンの患者がからむからですか。

 

Geller  そうです。 チューリヒ以外に「Oral Design」センターができると、患者さんが他の歯科医師、歯科技工所に行ってしまうという理由からです。

 

 

Miyoshi たとえば今の状況ですと、Geller 先生と取り引きしている歯科医師がいて、 そこから仕事がGeller 先生のところに来る。 必ずこの先生を通るようになっていて、ほかにセンターができ、そこの仕事にはタッチしないというのであれば、 歯科医師はなぜ反対したのでしょう。「Oral Design」センターというアイデアの意味が十分理解されなかったからでしょうか?

 

Geller  患者が減るからです。

 

Miyoshi 要するに Geller 先生がそのように動き出すと、それによって患者が分散し、 その歯科医師のところに来ていた、たとえば10人の患者さんが5人になったりという心配でしょうか?

 

Geller  外国に「Oral Design」センターができれば、その国の患者さんは当然そこへ行くでしょう。そういうことも、このアイデアを断念した理由のひとつです。私には強制するつもりはありませんでしたから、歯科医師の反感を買ってまでとは考えませんでした。

 

Miyoshi そういう経過を経てできた「Oral Design」センターは、現在、世界の何カ国にあり、そのグループに何人ぐらいの人たちが参加していますか。

 

 

世界各国の「Oral Design」センター

 

Geller  最近増えましたので正確な数字はよくわかりませんが、36~38のメンバーがいます。 ただしメンバーすべてが

「Oral Design」センターというわけではありません。

 

「Oral Design」センターはチューリヒ、ナポリ、ミラノ、パリ、 新しいところではリオデ·ジャネイロなどにありますが、 混乱を避けるためとセンター間を距離的に十分離すため、1都市1つということにしています。したがって東京でも1つということになります。

 

さきほどのように始めは1つの国に1つと考えていたのですが、今では小さな国スイスにも3つあります。その最初はジュネープ湖畔のモントルー市にあります。兄弟なのですが、 一人は歯科医師でもう一人は歯科技エ士です。 非常に優秀です。彼との出会いも衝撃的でした。

 

15年ほど前だと思いますが、 私はそのモントルー市で2日間のゼミナールをやりました。 私は別の部屋で作業をし、それをビデオカメラで撮ってホール、に中継したわけですが、 若い参加者の1人がどうしても直接見たいと言い、私の隣に座って作業を見るということがありました。

 

それから時間が経ち、3年前ある人が「会ってくれないか」という電話をかけてきました。私は OKし、彼が私のところに来て写真を見せてくれたわけですが、それは信じられないほど素晴らしい作品でした。そして「覚えてますか。13年前、先生の横に座って作業を見せていただいたのは私です」と彼は言うのです。あの若者が才能にも恵まれていて、 それほど上達していたのです。

 

彼は「Oral Design」センターとなることを望みました。そこで私は 「Oral Design」センターがスイスに2つあってもいいではないかと考え、 すぐに OKしました。

 

確かに当初の原則には反しますが、私たちグループ全体のブラスになると思ったか歌す。 このように、私たちの原則は「原則がない」ということかも知れません。規約も事務局も、 秘書も会費もありません。自主的に全体をまとめる人はいますが。

 

Miyoshi資格はまったくないということですか。本人が希望すればメンバーになれると?

 

Geller  倫理的、 道徳的に問題がなければ誰でもメンバーになれます。つまり、他人を欺いたり、 嘘をつくような人は資格があ、りません。そんな人がメンバーになっても居心地が悪いでしょう。 私たちのグループには、率直に話し合うことに情熱を燃やすメンバー、とくに若いメンバーが多いですから。私はこれを誇りに思っています。

 

私たちは経験を交換し、 助け合います。 たとえば私がメンバーの誰か1人のラボへ仕事をもって行き、そこで仕事をするということもできます。メンバーは誰でも、他のメンバーのラボで仕事をする権利があります。作業をする席が空いているラボなら、パリからローマへ、 あるいはチューリヒからストックホルムへ行って仕事することができるのです。私たちの結束はこうして固まりました。

 

 


 

「Oral Design」のメンバーになるには(表2)

 

Miyoshi 人間的に問題がなければメンバーになれるわけですね。それは Geller 先生が判断されるのですか?

 

Geller 良いご質問ですが、 簡単にはお答えできません。通常メンバーになることを希望する人は、 まず何らか の 形 で 間接 的 に 私ち と 接触を もちます 。 ですから 完全 に 未知 の 人 で は ない わけ で 、 その 接触 が 次 第 に 密 に なり 、「 メンバー に なり たい 」 という 意思 表 示 が あっ た 時点 で OK か どう か を 判断 し ます 。 グループ が 商業 的 に 利用 さ れる の は 困り ます か ら 、 注意深く 検討 し て から です が 、 そういう 意図 が ある か どう か は 容易 に は わかり ませ ん 。

 

たとえば イタリア の 場合 、 私 は まず イタリア の メ ンバー に 「 異論 は ない か 」 どう か 質問 し ます 。 この 候 補 者 が メンバーと なった場合 、 彼 が つきあう の は 主 として イタリア の メンバー です から 。 これ は 非常 に 重要 な こと です 。

表2 oral design のメンバーになるための条件


①  Willi Geller氏の研修会を受講するか、メンバーの推薦。

 (良識のある人物・技術的に優れているか)

② 本人の意思。

③ その国または地域のメンバーの推薦

④ 講演及び講習会を開催するだけの技能・才能を持っていること。

⑤ oral designのコンセプトを理解して、oral designerとして要素を持っ

 ていること。

⑥ メンバーに教える能力を持っていること。


 

こういう ふう に 、 メンバー として 受け入れる か どうか の 決定 は 最終 的 に は 共同 決定 です 。 とくに 「 過 去 に 好ましくない 行動 が 知ら れる 人物 」 の 場合 は 当 然 そう し ます 。

 

アメリカ で の 例 を お話し し ます と 、 大きな ラボ を 経営 する 技工 士 が 、 ラボ を さらに 大きく し 、 そこ に「 Oral Design 」 センター を 置く こと を 計画 し まし た 。 私 は この 人 を よ く 知り ませ ん し 、 アメリカ の メン バー も みな 、 彼 が メンバー に なる こと に 反対 し まし た 。 こんな 場合 は もちろん お断りします 。

 

会費 の 話 ですが、あるメンバーが 「 事務 局 を つく ろう 」 と 提案 し た こと が あり ます 。 事務 局 が でき れ ば 、 当然 そこ で 働く人に 給料を払わ なけれ ば なり ま せんから 、 メンバー から 会費 を 徴収 する 必要 が 生じ ます 。 そう し ます と 、 いずれ は メンバー の 誰か が 「 お 金 は どこ へ いく の か 」 という 疑間 を もつ よう に なる でしょ う 。 「 集め た 会費 で 一部 の メンバー が あちこ ち 旅行 し て いる 」 という 不満 が 生じる よう に なっ た ら 、 私 たち の グループ は 終わり です 。


 私 たち グループ が 強制 さ れ ない リラックス し た “ 結びつき ” で い られる の は 、 事務 局 を もた ず 、 会費 も ない から だ と 思い ます 。 メンバー は すべて 、 金銭的 に は 完全 に 独立 し て い ます ( 表 3 ) 。

 

 Miyoshi  という こと は 、 Geller 先生 の 「 Oral Design 」 グループ は 、 「 個々 の 患者 さん に マッチ し た 素晴らし い 技工 物 、 ポーセレン を つくり上げ て いこ う 」 とい う コンセプト で スタート し た “ 仲間 たち ” で 、 組織 も なけれ ば 会費 も ない 、 とても アット ホーム な グルー プ で ある 、 そう 考え て 良い わけ です か 。

 

 Geller  ええ 、 そういう こと です 。

 表3 oral design の概要


メンバー数:36 〜 38人

・センター数:チューリヒ、ナポリ、ミラノ、パリ、リオ・デ・ジャネイロなど

・事務局  :なし

・会費   :なし



 

Miyoshi  日本 の 技工 士 の 私 たち が 予想 し て い た の は 、技術 的 に 何か 特別 な 指導 システム が ある の で は ない か 、 という こと です 。 たとえば 「 これ は こう つくろう 」という よう な 勉強 会 、 スタディ · グループ として やっ て いる 一 そういう ふう に 考え て しまい ます が 、 そいう こと は ない の です か 。技術 的 な 繋がり という か 、 たとえば 1 つ の マニュアルー Geller 先生 が メンバー だけ に 教える 秘密 の ノ ウハウー が ある の で は ない か と 思っ て い まし た 。

 

 Geller  そんな こと は あり ませ ん 。 メンバー 1人 一1人 が 、 他 の メンバー に 自分 の テクニック を 教える こ と に なっ て い ます 。 これ は 義務 です から 、 教える 能 力 が 要求 さ れ ます 。

 

 始め の 頃 は 「 全部 は 見せ ない 」 という メンバー も 確 かに 1 人 か 2 人 い まし た 。 しかし 、 そういう 人 も グ ループ という 環境 の 中 で 次第に 開放 的 に なり 、 100 % 見せる よう に なり ます 。 テクニック を 教え 合う とい うの は 義務 です から 、 メンバー に は 教える 能力 も 要 求 さ れ ます 。

 

 Miyoshi  「 メンバー に なる ため の 条件 は ない 」 と 言わ れ ました が 、 それ は かなり 厳しい 条件 です ね 。 ( 笑い )

 

 

 

「Oral Design」の技術的 秘密 ?

 

 Geller  さきほど 「 私 が メンバー に ノウハウ を 教え る 」と 言わ れ まし が 、私 に は そんな “ 秘密 ” は あり ま せ ん 。

 

「 Oral Design 」 を 提唱 し た の は 多分 、 私 が 一番 最初 だ と 思い ます が 、 技術 的 に 一番 という わけ では あり ませ ん から 。 ( 笑い )

 

グループ に は 技術 的 に 非常 に 優れ た 人 が 沢山 います 。 イタリア の メンバー など は 私 の こと を ミト ( 神 話 、 神話 的 人物 ) と 呼び ます 。 日本 で も お 年寄り を 敬う 呼び 方 が ある と 思い ます が . … 。 そんな 感じ で ミト

 と 呼ば れ て い ます 。


 ※ master [ 英語 : マスター ]

 ( 名詞 ) 主人 、長 、先生 、大家 、名人 、ぼっちゃん 、修士の意 。

 ※ meister [ 独語 : マイ スター ]

 ( 名詞 ) 主人 、支配 者 、長 、 名人 、専門 家 、師匠 、先生 、親方の 意 。

 ※ maestro [ 独語 : マエストロ ]

 ( 名詞 ) 音楽家 の 大家 、 名 作曲 家 、 名 指揮 者 の 意 。

 ※ mito [ 伊 語 : ミト ]

 ( 名詞 ) 神話 、 神話 的 人物 の 意 。


 Miyoshi  ええ 、 ご 隠居 とか … 。 そう 言っ て は 失礼 ですね 。 ( 笑い )

 

  Geller  いえ 、 私 は もう 現役 と いう より 隠居 です 。三善 さん も 山本 さん も 、 日本 の 歯科 技工 の ため に 多 くの 功績 を 残さ れ 、 そろそろ ミト です ね 。 ( 笑い )

 

 

Miyoshi さん が 、 ご 自身 が 教え た 技工 士 の 話 を する とき は 眼 が 輝い て い ます 。 それ は 、 そういう 人 が いる こと を 非常 に 誇り に さ れ て いる から だ と 思い ます 。 私 も そう です 。 私 を 越え て も 悔しい とか 、 嫉族 妬 するよう な 気持ち は あり ませ ん 。


 

 Miyoshi  さて 、 ここ で 「 Oral Design 」 について もう 少し うかがい たい と 思い ます 。Geller 先生 が 考え て いる 「 Oral Design 」 の 中 で の 具 体 的 に 大切 な 要素 、 たとえば 形態 で ある とか 、 色 で ある とか を 挙げ て いただき たい の です が 。

 

 Geller  たいへん に 難しい 質 間 で 、 簡単 に は お答えでき ない かも しれ ませ ん 。

 

 この お答え の 前 に 今 の 話し の 続き です が 、 私 たち グループ の メンバー で 、 研修 コース を する 人 は それ ぞ れ 独自 の テクニック を もっ て い ます 。 基本 は 同じ です が 、 個々 の 点 で は 大きく 異なる という こと です 。 たとえば 音楽 の 場合 、 同じ 曲 で も それ を 演奏 する 人 の 解釈 は 異なり ます 。 日本 に も 優秀 な 音楽家 、 誰 も が 認める マエストロ ( 大家 ) がい て 、 本当に 素晴 ら しい 演奏 を し ます が 、 解釈 の 仕方 は 日本 的 です 。 文 化 が 異なり ます から 。

 

 Miyoshi   私 たち は 、 Geller 先生 こそ は ポーセレン の マ エストロ だ と で 考え て い ます 。

 

 多く の 歯科 技工 士 を ご覧 に なり 、 それぞれ の 個性 とか テクニック を 認める という 立場 から そういう お 話 を さ れ た と 思い ます が 、 私 たち は “ マエストロ Geller ” の テクニック を 目指す 人 たち の 立場 から 、 お話 が 聞き たい わけ です 。

 

 つまり 、 「 OralDesign 」 を どの よう に 理解 し て 、 どの よう に その 技術 を 追求 すれ ば 上手 に なれる か 、 Geller 先生 の よう に なれる か を 知り たい の です 。

 

 

  Geller  私 の 考え方 や テクニック を 、 私 自身 が そこまで お 勧め しよ う と は 思わ ない の です が … 。

たいへん 難しい ご 質問 です ね 。

 

 たとえば 若い とき に 、 「 適時 に 適所 で 正しい こと を する 」 という ょう な 多く の 偶然 が 必要 だ と 思いま す 。 個人 は モザイク の よう に 多様 の 要素 、 たとえば 経験 、 出会い 、 感覚 、 神 の 恵み 、 そして もちろん 才能 など から 、 その 全 人格 が 形成 さ れ ます 。

 

 私 の 場合 は 、 出会い が 大きな 意味 を もち まし た 。私 が 今日 ある の は 、 出会っ た 人 たち が 、 私 に 多く を 与え て くれ た おかげ だ と 思っ て い ます 。

 

 弟子 を もてる よ う に なっ て から の 私 の 経験 で は 、私 の ところ に 来 た 才能 は あっ て も まだ 本当に 優秀 と は 言え ない 人 が 、 私 の 元 を 去っ て から 素晴らしい 歯 科 技工 士 に 成長 する という 例 が よく あり ます 。 自由 に なっ て 初めて 、 才能 が 存分 に 発揮 さ れる わけ で 、 三善 さん も 多分 そういう 経験 が お あり と 思い ます 。その とき に 初めて 、 その 人 が 私 の ところ で 何 を 学 ん だ か が わかり ます 。 最近 で は 、 私 の ところ に 来る 人 は 、 2 年 あるいは 3 年 後 に は もう 私 から 離れる べ きだ と 考える よう に なり まし た 。 これ は 何 より も 当 人 が 気づき ます 。

 

 理由 は 詳しく 聞か なく て も 、 「 自由 に なり たい 」 と言わ れれ ば 、 そう し て もらい ます 。

 

  Miyoshi  よく わかり ます 。 そういうこと は 多いです ね 。それでは 、 その 2 年 、 3 年 の 間 に どう 教え て いる か 。 たとえば 形態 だ とか 色 に関して どの よう に 指導 さ れ て いる か 、 主 な ところ を お話し いただけ ます か 。

 

  Geller  いずれ に し て も 初歩 から 始め ます 。 その 人が すでに 優秀 な 技工 士 で あれ ば 、 それ は すぐ にわかり ます が 、 そう で ない 人 も い ます から 。

 

  Miyoshi技術 指導 の 第一歩 は 、 まず 床 磨き から という こと です か ?

 

  Geller  もちろん 、 そんなに 初歩 から で は あり ません が … 。 掃除 は 必要 です から 、 全員 でし ます 。 私 も

 カッコ だけ です が ( 笑い ) 、 一緒 に やり ます 。 いずれに し て も 、 前歯 部 から という こと は あり ませ ん 。

 


 

Miyoshi 順番 に 、 たとえば 模型 作製 とか マージン の トリミング とか 基本 的 な こと を やる わけ です ね 。

 

 Gellerそう です 。まず 模型 作製 など 基本 的 な ことをしなけれ ば なり ませ ん 。もちろん 才能 が ある か ど うかは 、 クラウン を 作製 し て もらっ て 、 初めて わか ること です が … 。 私 が 三善 先生 の ところ に 弟子入り する と し たら 、 やはり 模型 作製 から 始め なけれ ば いけ ませ ん か 。 ( 笑い )

 

Miyoshiん ん … 。 まあ 、 私 たち も 同じ よう に やっ て います から 。 ( 笑い )

 

 同じ ポーセレン を つくる に し て も Geller 先生 のもの は 「 より 自然 で 、 より 美しい 色 で 」 です 。 私 たち が どんなに 練習 し て も 「 絶対 に 真似 でき ない 」 という 領域 が ある わけ です 。

 

 

最近 の 材料

 

 ー オール セラミックス ー

 

Miyoshi  それでは 少し 話し を 変え て 、 最近 の 材料 に 関する Geller 先生 の 考え方 、 それから 最近 新しい 材料 を 考え て おい で か 、 そういう こと を お 聞き し たいと 思い ます 。

 

Geller  私 は 今 、 オール セラミックス に 注目 し て います が 、 残念 ながら 今 の ところ 金属 焼付 ポーセレン に 執着 し て い ます 。 まだ 、 これ に 代わる よう な 材料 は ない から です 。

 

 私 たち は ショルダー , ポーセレン の デザイン を 開 発し まし て 、 これ で オール · セラミックス と 同様 のー一 100 % と は 言い ませ ん が 、 90 から 95 % まで の 審 美 性 を 達成 する こと が でき ます 。

 

 

 

 

 

マージン · テクニック ( 図 2 )

 

Miyoshi  それ は スープラ マージン , テクニック ですか 。

 

Geller  いえ 、 もっと クレージー な テクニック です 。

 

Miyoshi クレージ と は どの よう な テクニック ですか ? 

 

Geller スープラ , マージン , テクニック は 、 唇 側 面部 の メタル フレーム を 支台 歯 の ショルダー 角 の 部 分から 2mm 削除 する こと で 、 光 の 透過 を 良好 に し 、歯肉 領域 が 明るく 見える よう に 考案 し まし た 。 最近 試み て いる マージン · テクニック で は 、 スープラ マージン を さらに 進化 さ せ て 、 唇 側面 部 の メ タル フレーム の 中央 を 細く 残し 、 両 サイド に 穴 を 開 け ます 。

 

 図2 W.Geller氏によるマージン・テクニック。


Miyoshi  両 サイド に 穴を開ける と は ?

 

Geller  唇 側面 部 の メタル フレーム を M 字 の よう に カット し ます 。 そう する こと によって 、 入射 光 が 一 方 の 空隙 から もう 一方 へ 周り 、 歯冠 全体 が 明るく 輝 き ます 。

 

Miyoshi  そうすると 、 メタル フレーム の M 字 の 中央 部 分 も 細く し ます か ?

 

Geller  ええ 、 ピン に し ます 。 光 が 十分 に 入る ように し ます 。 細く て も 問題 あり ませ ん 。

 

 Miyoshi  本当に 細い 、 小さな ビン ですか ?

 

 Geller  ええ 、 ピン で 大丈夫 です 。 ただし 、 この マー ジン · テクニック で は 、 焼成 時 の 変形 防止 の ため 白金箔 を メタル フレーム 内面 に 圧接 し 、 ポーセレン を 焼成 し ます 。 白 金箔 は グレーズ 、 マージン 修正 後 に 取り除き ます 。 作業 の 手間 は 少し 多く かかり ます が 、 興味深い 方法 です 。

 

 日本 の 歯科 大学 で は 、 学生 に 歯顎 部 全 周 の ポーセ レン · ショルダー を 教え て い ます か 。

 

 Miyoshi  いいえ 、 歯 顎 部 全 周 という の は 、 まだ 教え て い ない と 思い ます 。

 

Geller  さきほど の ポスター の 話し に 戻り ます が 、 あの Vita の ポスター が 示す の は 、 全 周 が ポーセレ ン · ショルダー の 最初 の 金属 焼付 ポーセレン クラ ウン で 、 私 が つくり まし た 。

 

 Miyoshi  その とき は もう Vita 社 の インストラクター を さ れ て い た の です か 。

 

Geller  いいえ 。Vita 社 と 協カ 関係 に は あり ます が 、 Vita 社 の ため に 仕事 を し た こと は あり ませ ん 。 相談 を 受け 、 アドバイス を する という 関係 です 。

 

Miyoshi  ああ そう です か 。 日本 の ポスター に も 使わ れ て いる ので 、 私 たち は Vita 社 の インストラクター を なさっ て いる と 思っ て い まし た 。

 


Geller  チューリヒ大学では3~4年前から、 歯科学生に全周のボーセレンショルダーを教えるようになりました。あのポスターから15年も過ぎてからのことです。「日本ではまだ」というのは本当にクレージーです。

 

 

歯冠隣接部を閉じる形

 

Geller  歯冠隣接部を閉じるという私の方法、 覚えていらっしゃいますか。実は、さきほどの18年前のボスターの作品も、 全周ポーセレンショルダーであり、この隣接部を閉じるテクニックであり、 私のテクニックはそんなに変わっているわけではないの

です。(図3)

 

しかし、10年前は歯科医師に叱られましたが、今ではこれをチューリヒ大学で教えているのです。

 

Miyoshi  私も Geller 先生のテクニックを学び、臨床ケースで応用しています。

 

Geller  これは審美性のために必要です。

 

Miyoshi  ええ必要です。 インタープロキシマル (隣接面)を閉じるこのテクニックですが、 「インターデンタル·プラシを使うから開けろ」という歯科医師の場合でも、歯科医師と話をして閉じることはありま

すか。

 

Geller  私の歯科医師にはもう、 そういう人はいなくなりました。そういう歯科医師とは仕事しません。

 

Miyoshi  それは羨ましい環境ですよねえ。 私たちはそういう歯科医師とも仕事をしなければならない立場ですから。

 

Geller 閉じると言いましたが、インターデンタル·プラシを使う空隙はもちろんあります。 歯冠乳頭は非常に柔軟ですから、 押し上げればインターテンタルブラシは通ります。 (図4)

 

 

 

新しい陶材

 

Miyoshi   新しい陶材を開発されたそうですが。

 

Geller  ええ、名前はパールです。

 

Miyoshi パールですか。

 

Geller  オバールを3年前に発売し、 今度はバール(Pearl) というのを出しました。これは皆さんのケースにも必要だと思います。 私たちは漂白したような歯を非常に美しいと感じますが、これを模倣するのは容易ではありません。

 

そこで私は実験険を始めて、「漂白した歯とは何か」を知りました。この漂白したような白い色調は天然歯に確かに存在するわけですが、しかし天然歯は半透明性をももちあわせています。 この相矛盾するする特徴を生かさなければなりません。

 

パールは比較的約不透明な材料です。 これを半透明性と調和させながら用いることで、 より天然歯を模倣したポーセレンが作製できることになります。Miyoshiさんがどうお考えか、私にはわかりませんが。つまり、比較的半透明に築盛し、 その上にはつねに0.5mm程度、場合によっては1 mmのエナメルを積層します。それから研削しますと、 皆さんの色の非常に近くまで削除されます。ここでストップします。これを太陽光あるいは蛍光灯の光で観察すると、本当に真珠のような効果があることがわかります。それからもう1つ、患者さんを説得しやすいという商業的な効果もあります。 たとえば患者さんが白い歯を希望したとします。 ご存じのように、 「白い歯」という希望は私たちを困らせます。 そこで「バールはどうですか」と提案します。 バールという名前で、患者さんに容易に納得してもらえます。

 

Miyoshi パールを、 歯冠のどの位置に使用するのですか。

 

Geller 正面です。

 

Miyoshi  そのテクニックは非常に難しいですね。

 

Geller  難しいですね。 ですから、 築盛してからそれを削るのです。 ごく1層、 0.1mmくらいまで削る。0.1、0.2mm暗い形が臨在歯似合っていなくてもにおかしくは見えませんから…。

 




 図 3a, b 歯冠隣接部を閉じる形態            a | b


 図 4a, b 歯冠隣接部を閉じる形態  

 

日本の歯科技工士へのメッセージ

 

ー “アントニオ"になるな!? ー

 

 Miyoshi 最後に、日本の歯科技工士たちに、メッセージをお願いいたします。

 

Geller  私たち歯科技工士という職業は難しいと感じています。15年前の私は、当然ですが現在よりもっと作業が早かった。 しかし、 私たちは年をとります。地位が高まり、審美性やストラクチャーなど、すべてがより良くなければなりません。しかし私たちの眼力は衰え、手も少し震えはじめ、私たちは下り坂にあります。

 

医師とか弁護士とは違うのです。 彼らは経験を活用することができます。

 

私は毎日ほとんど10~12時間仕事をします。私のラボのスタッフの一人は、 私と一緒に夜の10時~12時までラボに残ります。私は彼に、「君は7時で終わり」と言いますが、8時15分前まで残ります。彼は本当に辛抱しています。

 

私は「君は若いのだから土曜と日曜は休み」と言います。彼は独身でガールフレンドもいません。そこで私は「アントニオ、いつもラボにいてはガールフは見つからないぞ。若い女性がラボのドアををノックして、付き合いを申し込むとでも思っているのか」と聞きます。 (笑い)

 

そんなことで私は毎晩ワインを飲むことにしました。アントニオに勧めて仕事を止めさせるのです。

 

歯科技工士は、仕事がなかなか止められません。ほとんど病気です。 ガールフレンドや奥さんに冷たいわけではありません。私はいつも「愛のない日は失われた日」と言います。そして「君は何日失ったか」と聞きます。すると皆が「おお、 沢山」と答えます。これは本当です。私たちは多くの日を失っています。

 

 Miyoshi それは私たちにとって、切実な問題ですね。

 

Geller  それから、さきほども言いましたが、国や文化の異なる人たちと話し合うというのは素晴らしいことです。私たち歯科技工士は、言葉の違いがあっても、歯科技工という点では、同じ立場で話ができるのです。

 

そして、日本の歯科技工士はョーロッパでは信じられないほど評価されていますから、 ヨーロッパに大いに期待して間違いないと思います。 また逆に、日本の歯科技工士もヨーロッパの歯科技工、歯科技工職全体から何かを学ぶことができると思います。

 

編集部  本日はたいへんにありがとうございまし

た。