Creation porcelain
Creationポーセレン。
Willi Gellerは何社からか「我々と新しい陶材を作りませんか」という話がありましたが、当時、新しい陶材の製品を作ろうと思ったことはありませんでした。すでに、彼はVITAのオペーシャスデンティンを調合し、製品になったことでロイヤリティーを受け取っていました。オペーシャスデンティンは、既存のポーセレンを配合したものだったので、特許を得ることは出来ませんでしたが、実用新案に対する対価を受け取っていました。今では、オペーシャスデンティンはどこメーカーのキットにも導入されるほどの陶材となっています。また、 当時 Gellerは VITA 社 の 陶 材 の 種類 に は 限り が あり まし た ので 、 陶 材 に常にステイン を 調合 し ながら 使用して い まし た 。彼は、調合 の 経験 を 積み 、 たくさん の アイデアを持っていた の です が 、 それらのアイディアが商品 化 さ れる はず は ない と 自ら思い、自分だけのものとして、しまい込んでい まし た 。
* 余談ですが、Gellerは最近では以下の様に語っています。
以前の様にオペーシャスデンティンは、最近ではあまり多用しなくなってきています。それは、築盛法が逆になってきたからです。以前は、光を遮蔽するための層構造でしたが、今は、逆に光を取り入れクラウン内を光が回る層構造を作ります。オペーカスデンティンは少しは使うかもしれませんが、考え方、築盛の仕方を変えることにより全く使わなくても大丈夫と考えています。
Geller にはオーストリア・バーデン時代の同級生でIvoclarの社員で化学が得意なMr. Jurg Klebothがいました。Mr. Klebothの友人には、ウィーン生まれでリヒテンシュタインに住む歯科医であるシュミット博士がおり、彼らは新しいポーセレンで何ができるかについて計画を始めていまし た。
あるときに、彼らはGeller のもとに訪ねてきて、Mr. Jurg KlebothはGellerniシュミット博士を紹介 後、新しいポーセレン開発の話を始めました。彼らの目的は、新しいポーセレンのためには Geller の名誉、名前が欲しかったからでした。その時のシュミット博士の申し出は 、Geller の右の耳から入り、左の耳へと抵抗もなく抜けていきました。彼の言っている内容は Gellerにとっては興味を惹きつける話ではなく、Gellerの胸の内では、「陶材の色、明度設定は技工士でも難しいのに、歯科医師に陶材の色の何が解る?!」という気持ちだったのかもしれません。また、それだけでなく「いいように私を利用しに来ている」という気持ちだったかもしれません。その後再度、彼らからのリクエストにより、Gellerはチューリッヒのヒルトンで再会し、会話をしました。 シュミット博士から再度同じ話題になり、もう一度新しく開発するポーセレンの質問でGellerを引き止めた後、彼はトイレに行くといって席を立ちました。シュミット博士がいなくなったことで、Geller とKrebothの二人きりになりました・・・
今、Gellerは回想すると、その時のそれは、今でも明確に思い出せるほどとても興味深い時間、空間、状況でした。残された二人は彼を待っているまもない間に、Krebothは突然 口を開き Gellerに尋ねました。
「私たち二人はシュミット博士と一緒にポーセレンを開発する必要性があるか?!」
Krebothのその時の発言は二人の頭の中でベルが鳴り、まさしく「Creation」が誕生した瞬間でした。
そこで、Ivoclarの社員 Jurg KrebothとWilli Gellerの出資で新しい陶材を製作しようと決心することとなりました。当時、Krebothは、Ivoclarに雇われておりましたが、営業、マーケティングに人脈はありませんでした。 Gellerには名声があり、「Creation」誕生後の営業の負担比率は大きな格差がありました。
上記でも述べたように、新しい陶材メーカーを作るにあたり、Jurg Krebothは、実際にはGellerの名前だけを使いたかっただけでした、しかし、 その会社はまだ、商品 開発 も 商品への哲学も設計も定まっておらず 、 誰かがその陶材の設計をこれからやら なけれ ば なりませんでした。Geller は VITA 時代の陶材の色調合の経験のアイディアが 商品 化 さ れる 可能 性 が 出 て き た ので 、彼がそれらのことを請け負い、過去の経験を活かし、陶材の設計を行いました。Geller の頭の中にはすでに新しい陶材のデザインができていたのです。そして、 Geller だけのものとしていた経験から来るアイデア が 死ぬ こと なく 活かさ れる こと に なっ た の です 。これは後の若手の歯科技工士に彼の哲学、技術が受け継がれるきっかけにもなりますので、歯科技工士の将来に向けても素晴らしいことだったと思います。歯科用ポーセレンの中には多々ありますが、そのポーセレンには色々と発明や、開発があり、その製品により審美の技術がレベルアップしてきたという経緯があります。このGellerが製作した「Creation」陶材もその一つと言えましょう。「Creation」陶材は、Gellerはこの陶材を普及、成功を収めるために世界で講演、ハンズオンコースを行い、世界の歯科技工界を沸騰させたという業績も伴い世界の歯科技工士のレベルアップに繋がっています。
余談ですが、こういった商品開発には、他のメーカーを見ると、曖昧なコンセプトで開発されているものがあり、商品として売れるためにユーザーに迎合しているものが多く、それが口腔内で美しく見えるかは別問題であり、その中途半端なコンセプト、デザインの悪いポーセレン陶材は消えていきました。素晴らしいコンセプト、設計は、素晴らしい商品になるということを知らないメーカーも多過ぎるように思います。また、VITA のシェードガイドの呪縛に囚われ過ぎている商品は、個性を出せずに消えていきます。こういった開発は、普段の臨床の積み重ねから生まれてこそ、臨床に強い商品となっていきます。
ポーセレンパウダーの開発は、Ivoclarの資料が基礎となり、その後、製造が始まりました。Creation 社 は4 人 から始まった 小さな 会社 で、車庫のような小さなところで、何もないところから製造を始めました。 Gellerはこのように何も無いところから価値のあるものを製作するという事がとても好きな性格ですので、ワクワクしてCreation 社の仕事に携わっていました。長石はガレージでキロ単位で粉砕されました。 ポーセレンパウダーはテストされ、再び粉砕されテストをおこないます。製造を進めて行くうちに、この様に実験 を繰り返し、材料の組成を変更し、テストを繰り返しますが、Gellerはなかなか考えが固まらず、まさかこれほどの本気の試みが必要になるとは夢に思ってもいなかったと言います。今ではこのような製造は出来ません。なぜなら、陶材一粒でさえ、登録が必要なのです。当時は今と比べるとそういう面ではおおらかさがあり、自由に商品開発ができたのかもしれません。 Geller 等が会社を設立する時が来るまで、努力の甲斐があり「Creation」は一歩、一歩、形が見え始めたのでした。
「Creation」と言う名前に対しては、日常に使用されている単語には商標登録には認可が降りず、「Creation」+「Willi Geller」と自分の名前を付け造語を作ることで、「Willi Geller Creation」という商標登録が誕生しました。
話は前後しますが、Geller等は製造面だけでなく金銭面でも苦労は続きます。当初、4人いた「Creation」の設立には10万フランの費用がかかることが算出しました。数日後、 Ivoclar社から連絡が来ます。それは、Gellerと一緒にポーセレンパウダーを作りたいという理由からでした。 結局、Ivoclar社からの協力は残念ながらありませんでした。このことにより、「Creation」の設立費用には4人のうち2人は出資ができず「Creation」を立ちあげた当初の KrebothとWilli Gellerの2人だけが残った状態となりました。
Krebothは3万フランを用意してくるようにGeller に依頼し、Krebothは、3カ月でGellerに返済すると約束しました。なんと Krebothはその約束を守りました。こうやってCreationがスタートするわけですが、Krebothはディーラーと交渉したり、海外に行ってディーラーを探したりすることはしませんでした。Geller は今までの海外での講演、ハンズオンコースによる国際的な連絡先を持っていたので、そのような交渉は彼の役割で営業マン代わりも行いました。発売当時のGeller の「Creation」での仕事の役割比率はこのように健全ではありませんでした。
1988年 の陶材の完成発売前に、最初の「Creation」テスト ケースを携えてGellerはイタリア・モデナの歯科ディーラー Violi へと向かいました。Mr. Violi *はすぐに彼の話に夢中になり、「Willi、私はあなたとなら何でもするよ、どこでもついて行きますよ。」と言って「Creation」の特約店約束をしてくれたのです。Mr. Violi はまだ最終的な商品を見ていないのにもかかわらず、Gellerとの信頼関係で契約をしてくれたのです。また、ドイツのGirrbachが、「貴方のためなら何でもできるよ」と言ってくれ、そして、これらの噂が「Creation」の良い評判となり、「Creation」の経験となっていきました。
*Mr. VioliとGellerの関係
当時イタリアではすでに、Willi Gellerの名声は聞こえてはいましたが、まだ彼らはこの目でGeller の講演を見たことがない人が多くいました。そこで、Mr. Violiが Willi GellerとDr. Fritz R. Kopp DMDをイタリア・フィレンツェに招聘し、会場:パラッツォ デイ コングレッシで500名を集客し講演会は大成功を収めました。その講演会はもちろんイタリア人を魅了し、彼らはGellerのスライドに息を呑み、それはとても美しく、とてもリアルで、時には官能的でもあり、イタリアの歯科技工士はまるでミケランジェロが、ダビデ像を公開された時のような衝撃を受けたことでしょう。こういった評判により、Mr. Violi はイタリアの歯科関係者に更に評判を良いものとしました。この講演結果によりMr. VioliとGellerは絆を深め、信頼関係が深まったわけです。
2年の年月をかけて、ついに1988年 Creation発売されることとなります。人は1人では生きていけません。人間関係はとても大切です。そこには誠実であるのみです。常に、出来る限り正直であることです。 それによりゆっくりと素晴らしく、会社は成長し始めました。
Creation陶材を使用した、当時のWilli Gellerの「Light and shadow」というタイトルのビデオ。
Gellerは 上記で述べたように 黄色 や オレンジ の ステイン を 透明 陶 材 に 混ぜ て カラー トランス ルーセント パウダー を 作っ て い まし た 。そういった特殊色陶材を「Creation」で商品化することにより、他社メーカー も そういった陶材を追随 し始めました 。
Geller曰く、VITAはマーケティングが下手でした。Creationが世に出ると、VITAはすぐに追随して新製品(VITA オメガ)を発売しました。そして、彼らの謳い文句は「Creationよりも優れた陶材を作りました」でした。VITA はわざわざCreationの広告をしてくれましたのでした。この文章の意味するところは、「世界の陶材の中でCreationが一番優れている」ということを認めているということです。
また、私たちCreationは、マーケティング戦略のひとつとして新商品を出すときには、その商品を使用した臨床ケースの広告用のポスターを作っていました。もちろんそこには、WIlli Gellerのサインが入っています。以前、VITAが広告キャンペーンで行ったことを、Creationも行い、この作戦は成功を収めました。
2年の年月をかけて会社が設立されたとき、作成と製造 は 2 つの異なる分野で進行していました。製造会社はオーストリアにありまし たが、オフィスは常にスイスにありました。これは主に課税 上の理由によるものでした。やがて、これは2つの会社になりました。Creation が市場に登場したことは、Geller の人生だけでなく、 歯科技術の未来においても、非常に重要で決定的な瞬間でした。Creation陶材の販売によって、世界の審美歯科のレベルアップの一部を担ったことは確かなことですし、Geller 自身もその感覚は掴みました。結局のところCreation は小さな会社として1988 年 に「誰もいない」会社として 、偉大な企業の独占を破りました。
当時の歯科産業は自由でした。欧米ではBiodent、VITA、Ivoclar、Ceramco、Jelencoなどが陶材を出しており彼らの独占状態になっていました。 しかし、Willi Gellerと Krebothが産み出した「Creation」でこの独占状態のマーケットの壁を破壊したのでした。
たくさんのブランドの陶材が発売されて、それと同じ数ほどの陶材も消えて行きました。Creationは、良い時、悪い時がありましたが、それでも「Creation」は生き残っています。
天然歯の構造は単純にいうと象牙質と、エナメル質との組み合わせです。そしてVITA社の製作したVITA PANクラシカルシェードガイドに、各陶材メーカーが色調を合わせていますので、一見すると各陶材メーカの築成方法、仕上がりは大きな違いが見られないような気がします。しかし、ここには製品作りの指揮をとっている陶材の設計者の哲学、思想によって大きく異なってくるくることを皆さんは理解する必要が有ります。
Geller はCreation 陶材の設計は、補綴物が、口腔内の歯周組織との調和することに特にこだわり、より自然でありながら、明るいセラミックスクラウンに仕上がるよう設計しました(Creation 陶材がどうのこうのというわけではないですが、残念ながら各メーカーの陶材コンセプトの「ここの部分」に気が付かない、気が付けない歯科技工士は非常に多いです)。
oral designは顔貌、口元を考えて製作するというコンセプトというならば、Creation陶材はただ単にメタルセラミックスの発色が良いだけではなく、歯肉に光を誘導し歯肉を明るく健康的に見せるコンセプトになっています。簡単に言えば、技術と材料の融合が必要ということです。歯肉への光の誘導に関しては、陶材の蛍光色が関係してくることですが、本来の目的は歯肉の光の誘導であり、世間ではそこの大事な部分は置き忘れられ、蛍光性と言うことだけを取り上げられ、討論されている場合が多いです。
陶材の設計に関しては、陶材のコンセプトに気が付かない歯科技工士同然のように、各メーカーにも同じ事が言え、曖昧なコンセプトの設計の製品は少なくないです。上記のことから、製品には必ず設計者がいますので、歯科技工士はどのメーカーの製品を選ぶのかは、その段階からその設計者の思想、哲学に左右され、その歯科技工士の才能が分かれる部分でもあることは知っておく必要が有ります。
こぼれ話
日本の伝統文化である落語家に古典落語に広く通じた立川談志(1935〜2011)という有名な噺家がいました。彼は現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けました。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりの人物でもありました。
1983年、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐり、当時落語協会会長であった師匠と対立します。同年、彼は落語協会を脱会し、その時に彼には多くの弟子がいましたが、談志が彼らに語った興味深い言葉があります。
「落語家には色々と数がいるが、その数いる中から師匠としてお前らは俺を選んだ。その師匠を選んだ時から才能というのは始まっているんだ!」
と。その後、彼の弟子たちは人気を博し活躍をしています。
Creation porcelain