2nd International Symposium on Ceramic、London
June 9th - 11th. 1984
主催:Quintessence
日時:June 10th. 1984 (はっきりとした日程は解りません。)
午前の部:Willi Geller講演
午後の部:山本 眞 講演
Quintessence of Dental Technology Vol.9/1984 に掲載された記事です。基本的に本文のまま文章を書き上げました。しかし、通訳、編集の段階で色々と誤訳、説明不足と思われるところが多々見られ、そのような部位を青字で修正を施しました。
小田中康裕
トップセラミスト対談
ポーセレン・テクニックの真髄を語る
於:ロンドン
Willi Geller
山本 眞
本対談は、本年6月、第2回インターナショナル・シンポジュム・オン・セラミック(ロンドン)に演者として招聘された山本・Geller両氏が、市内の広場で行ったものです。なお対談には本誌編集部のアシスタントとして、、シャナハン・イトウ・フクヨさんにもご協力願いました。
「ゴールは同じ、それだけテクニックには共通性がある」
■編集部■
現在、セラミック(ポーセレン)の世界では、国際的にもその実力を高く評価されているお二人、W. Geller氏(スイス)と山本眞氏(日本人)に語りあって頂く機会を得ることができました。お二人は、言うまでもなくポーセレンを扱う世界のテクニシャンにとっては憧れの人であり、多くのドクターからも高い評価受けておられる方々でございます。
どうかここではご自由にその技工観、セラミック観などをお話し合いいただきたいと思います。
まず、お二人が最初に会われたのはいつ頃だったのでしょうか。
■山本■
Geller 氏に初めてお会いしたのは一昨日のことです。夕食をとろうとレストランを探していて、偶然彼に会いました。そして、食事を一緒にとりながらいろいろなことを話しました。長い間、一度お目にかかりたいと思っていたせいか、まったく初めての出会いであったのに、久しぶりに親友にあったようにたいへん楽しく有意義な時間が持てました。
■Geller■
2〜3年ほど前に、当時わたしは山本氏の製作したポーセレンのスライドを見て、とてもとてもすばらしいものだと思いました。しかし当時は、それほど驚きませんでしたね。
それに比べて今回の第2回インターナショナル・シンポジウム・オン・セラミックでの講演を聞いて、私は偉大な人物だと感じましたね。素晴らしいアイディアを披露していただき、その質の高さ、レベルの高さに驚嘆しました。
■山本■
ありがとうございます。わたしも何年か前にGeller氏の作品を見たことがありますが、その時の感激は今でも忘れられません。それまでにも、ほかの著名なセラミスとの作品を何度か見る機会はあったのですが、たいして感動したことはありませんでした。しかし、Geller氏の作品はレベルが全く違っていて、私に非常に大きな感動をもたらしたことを覚えています。その時、まさしくこれを作った人は天才だと思いました。
■Geller■
もう一度言いたい。彼は実に偉大です。
■編集部■
よく、お二人のテクニックの中に、アイディアのなかに共通点があると指摘される方がいますが、お二人とも、そう感じられますか?(原文はわかりにくい文章です。「よく、お二人のテクニックのアイディアに共通点があると指摘される方がいますが、お二人ともそう感じられますか?」という意味と思われます。)
■Geller■
全く同じものがあるとは言えません。二人で食事をとりながら話したことですが、私たちは同じゴールをもっています。その点では確かに似ているところがあるでしょう。
たとえば二人ともテクニックにおいて非常に近い見方(eyes)をしていると思いますね。補綴物を製作するにあたっては、ともに自分の求める物が何かを知らなければなりませんし、その性質を分析する努力もしなければなりません。
しかし、材料に関してはそうとも言えません。また、それを実行する方法も全て似ているとは言えないようです。
私が山本氏と自分を比べて見ると山本氏はアルミニウムのようなよい性質を持っているようです。(笑)そして、私はかんしゃく持ちという点も違っていますね(笑)
■山本■
今回、私jは初めてGeller氏の講演を直に聞くことができたのですが、なによりもスイスと日本人というまったく離れた土地で、しかもまったく情報の交換がなかった状態で表現の方法やテクニックは違うにせよ、結果的としては私とおなじことを述べられた部分が多いのに気付き、大変驚かされました。
■Geller■
同じ結果を得るためには同じ方法を用いなければならないのかもしれませんね。
■山本■
そうです。確かにGeller氏の言われたように、二人には異なった材料を使いながら同じ結果を得るために似たような方法を採っているのかもしれません。材料自体、実際にはそれほど異なっているわけではないし・・・・。
■Geller■
結果を左右するのはあくまでもアイディアです。テクニシャン自身です。例えば、私の場合の材料はVITA、山本氏の場合は松風ですが、それによって結果が左右されるわけではありません。
「テクニックの差は自然をトランスレートする差から」
■編集部■
お二人のテクニックはそれぞれ非常にレベルの高い物だと聞いております。他のテクニシャンの方々にとって簡単には真似のできない何か秘訣のようなものをお持ちなのでしょうか。
■Geller■
自然は模倣することができ、模倣したものもまた模倣ができます。そのような意味で誰でも私たちの技術をコピーできると思います。ただし、それには経験が必要です。
■山本■
どんなにうまく私の仕事をコピーしたとしても、最終的にはその人の個性が出て、同じものにはならないはずです。しかし、同じレベルの仕事は誰にでもできると思います。
Geller氏の言われた「経験」でもあるのですが、いうなればその人の美的経験、微妙な感覚に帰因すると思います。
例えば、Geller氏の仕事は、実際にすばらしく、天然歯というものをよく捉えていると思うのですが、そのレベルにない人、つまり彼と同じだけ天然歯を捉えられない人にはそこが見えてこないんじゃないかと思うのです。
■Geller■
歯牙を分析する為に形状を作るのです。しかし、すべてのテクニシャンが同じ目で見ているとは限りません。
1段高いステップとして、中にある物を感じる、例えばアウターレイニング*か、インレイニング*(*Outer layering、
In layeringの誤訳間違いかと思われる。)を感じる経験が必要だと思いますね。
私はよく「なにをしているのですか?」と尋ねられることがあります。これは言葉では説明できない問題ですね。
■山本■
この経験をテクニックとしていえば、天然歯とクラウンでは材質が違うので構造をまったく同じにしても、同じ様な色が出ない。だからそれをいかにポーセレンにトランスレート(翻訳)(原文では「翻訳」と書かれていますが、天然歯色調を如何にポーセレンの色調に置き換えるという意味)するかということだと思います。
これはGeller氏が言われる「ごまかし*」という表現にも通じることですが、「見る」能力に加えて「トランスレートする」能力の違いが経験の差となると思います。具体的には月並みな表現ですが、つまり、材料と天然歯とをよく理解することに尽きることでもあるわけです。
(*原文では「ごまかし」という言葉を用いていますが、「Illusion」の誤訳と思われる。)
■Geller■
全くその通りです。(ポーセレンによる補綴物の)製作は、まず、天然歯とは違う材料で歯牙を再現するということを理解して、はじめて再現すべき天然歯の状態を知ることができるはずです。そして、その再現はを用いて行わなければなりません。本物ではないが本物にするわけです。
山本氏の作品から
「オペークとデンティンの間」
「オペーシャスデンティン」
■山本■
メタルセラミックにおける天然歯の色調再現では、透明感の表現が非常に大切なことは言うまでもありません。しかし、これまではそこに重点が置かれ過ぎて、もうひとつの重要な点である不透明性(明るさも含めて)の持つ意味はあまり注目されていなかったようです。私は不透明性の持つ意味は、日常の臨床場で非常に大きなものだと考えています。
ところで、Geller氏はオぺーシャス・デンティンを作り出されたわけですが、その誕生の経緯をお話ししていただけますか。
■Geller■
オペーシャス・デンティンは決して特殊なものではありません。わたしはこれを全て人が使えるように従来のものと私の方法とをミックスして作り出しました。しかし、わたし自身それほど多くは使っていません。
通常オペークを使用すると、辺縁域と歯間空隙(inter approximate)に問題が生じます。大体の辺縁域は明るすぎるのです。これは光というものがオペークまで達し、反射することが原因です。そこで光の反射をどうしても止めたくてオペーシャス・デンティンが生まれてきたのです。
オペーシャス・デンティンはオペークまでの光の透過をほとんど阻止します。もし、光が通過してしまったとしても、それは反射するに足る強さではありません。光は入射した強さと同じ強さで反射するからです。この問題がとくにネックとなるのは歯間空隙の領域においてです。これは2年前にクインテッセンス出版の稿で発表しています。
(*原文では曖昧な和訳となっていますが、ハーフポンティック のことを述べていると思われます。)
2つのレベル(光の透過・反射)があります。この2つのレベルがお互いに影を作り出します。それが歯間空隙です。さらにここにはコネクターが存在します。こちらの方はわたし自身処理に困っています。
(*和訳の原文は意味が解りにくく、たぶん以下のような意味かと思われます。 さらに困ったことにブリッジのメタルセラミックスブリッジの場合には、光の透過・反射の2つによりお互いに歯肉に影を作り出す領域は、歯間空隙(歯間乳頭部?)です。歯間空隙部、歯間乳頭部にコネクターが存在するからです。こういったケースでは、私自身処理に困っています。)
ただ、私はこれらの問題についての解答を得ているような気がします。すなわち、私たちはこの領域の再現に「真実*」そのものを必要としていないのです。これはポンティック、臼歯部にも言えることです。
(*「真実」そのものを必要としていないのです。』Mr. Gellerが言いたいことは、天然歯を模倣しながらも、必ずしも模倣する必要はなく、補綴物を口腔内に入れたときに、天然歯に見えるような表現が大切だという意味と思われる。)
■山本■
オペーシャス・デンティン・システムは特殊色のホワイトをベースとした不透明材に着色をしたものだと思われますが、ホワイトがベースであるということが重要な点だと思います。
Geller氏は桑田正博氏のようにオペークを混合して使わないでホワイトを混ぜているのはなぜでしょうか?
■Geller■
オペークの粒子はあまりにも大きすぎるというのが理由です。まったくやったことがありません。
■山本■
私もGeller氏と同じように、ホワイトをその他にも色々な目的で多く使います。そしてこのホワイトを用いながら大切なポイントだと思うのは、トランスルーセント(半透明)をいかに活かすか、つまり歯牙に現れる白(不透明性をも含んだ)をいかに使うかだと思っています。
■Geller■
全く同感です。
「ジャケットクラウンの可能性」
■Geller■
今度は私が山本氏にお聞きしたいのですが、貴方は金属焼き付けポーせレンの将来をどうお考えですか?私はこのテクニックはすでに限界にあるように考えているのです・・・・ 。ですからこれからはキャスティングできるポーセレン・システムのような新しい材料を使用する時代だと思うのですが・・・・。
■山本■
完全に不透明なメタルのコーピングを使わなければならない以上、色調の再現においては私も限界に近いと思います。
Geller氏の作品から
■Geller■
そういう理由でアルミナのジャケットクラウンを試されたことはありませんか?
■山本■
ツインフォイルテクニックも含めて、なぜか日本では使われませんので・・・・。
■Geller■
どうしてでしょう? プレパレーションの難しさのためでしょうか?
■山本■
そうかもしれません。日本人の歯牙はとても薄くてプレパレーションが難しいようです。
■Geller■
ジャケットクラウンはセラモのクィーンだと思います。審美的であり非常に薄くでき健康的に見えるものです。
■山本■
もちろん私もそう思いますが、あなたの国では、プレパレーション、印象採得によるトラブルが少ないのでしょうか?
■Geller■
それはどこでも同じでしょう。良いものもあれば、悪い物もある。あれば、悪い物もある。(笑)
■山本■
プレパレーションと印象が良く、ケース選択さえまちがえなければ、ジャケットクラウンは破折しにくいと思います。
■Geller■
それに咬合も加えれば、心配いらないと思いますね。
■山本■
ただ、やはりブリッジワーク、とくにロングケースではジャケットクラウンは無理ですから、そういう意味ではまだまだメタルセラミックシステムは使われると思います。
「若い人たちは・・・・・」
■編集部■
ともに若い方々からも憧れるテクニシャンとして、これから伸びていかれる人たちへのアドバイスのようなものがおありでしたらお話し下さい。
■Geller■
わたしたちは非常に有意義なもので職業に従事しています。自身の手で作り上げる誇りを伝統としてもつことができます。よい補綴物を作ることが私たちの誇りです。ベストを尽くさなければなりません。
私が患者に与えることができるのは時間です。時には非常に多くの時間をクラウン1本にさきます。それは神聖な手仕事である限り自分の誇りとしなければなりません。
ただ、私たちは芸術家ではありません。芸術家のように自由ではありません。しかし、その中で自然の再現に努めなければなりません。
■山本■
「自分の手で作ってみる(Do it yourself)」を若い人たちにすすめたいですね。
■Geller■
そうです。「やってみる(Try to do)」ことです。そして「さらによくできるように努力する(Try to better)’ことです。
■山本■
自分で努力すること、何もかもそこからです。
■Geller■
私達は後輩に手助けをしなければならないと実感します。若い人たちは我々以上に何でも見ることができるし、試みることもできます。そこには、何もシークレットはないのです。
■山本■
しかし、それを教える手立てがない。つまり、技術でも学問でも同じことですが、あるレベルを理解しようとするにはそれに近いレベルに自分がいないとダメなんです。ですからより高度なものを理解し、学ぼうとするなら自身で自分を鍛練していくほかないんですね。技術や学問を教わるにしても、しょせん自分のいるレベルの範囲しか理解できないんです。そういう意味で技術を学ぶという事は受動的なようで、実は大変能動的な能動的なものなんです。本や写真をみたら、その奥にあるものを読み取る力を自分で鍛えてほしいと思います。
■Geller■
私は山本氏のスライドの中に、山本氏自身の手が見えるような気がしました。山本氏と私はいつまでも友人でいたい。
「Quintessence+oral design meeting」の鼎談で山本 眞氏が公開した写真
「Quintessence+oral design meeting」で鼎談が行われたときの様子。
山本 眞氏は、歯科技工界における思い出を振り返り、Londonで開かれた「2nd International Symposium on Ceramic」の様子と、そのときのGeller氏との対談の様子の写真を紹介した。
1984年のロンドンでの「2nd International Symposium on Ceramic」で使用した当時のオーラルデザインのポスターとWilli Geller。オーラルデザインはこの大会から歩き始めるのである。